こんにちは!! スタッフのしんちゃんです…!!

出雲はだいぶ暖かくなってきました…というより既に暑いです。今回はゲストハウスで行う「毎日の掃除」と、(大好きな!)押井守監督のアニメーション映画『スカイ・クロラ』と、シモーヌ・ヴェイユさんの言葉、レンガ積み、そして仏教とを結びつけて、改めて「毎日の掃除」を見つめなおしてみたいと思います!!

壮大…!!と思わせて、しかし穴だらけの知識なので、ツギハギな記事になるかとは思いますが、面白くなくはないと思います!!(まわりくどい…) それでは行ってみましょう!!

あ、始めに注意です!スカイ・クロラに関してはネタバレを含みますので、それが嫌な方は回れ右をお願いします。

 

繰り返しの絶望に人は耐えられるか…?

押井守監督の『スカイ・クロラ』。僕はこの映画の中に「繰り返しの絶望に人は耐えられるか?」というテーマを見出しました。ネタバレをしてしまえば、この映画に出てくる主人公は超エース級のパイロットなのですが、「絶対に勝てない」と言われる敵戦闘機に撃墜されます。そして記憶を失った状態で生き返らされるのです。道具として再利用され続けます。それを繰り返すことになるのですが、毎回「同じチーム」へと入隊します。

チームの人たちは、そうと知りながら、毎回初対面かのように振る舞います。しかしその中でも特に深い絶望に見舞われるのが、主人公と恋仲にあった女性です。主人公が生き返っても、また敵パイロットに撃墜される。そして毎回、自分と過ごした記憶を失った状態で、初対面かのように扱われる。その「どうしようもなさ」の中で、葛藤します。「それとも私のことを殺してくれるか…?」そんな言葉が映画の中では出てきます。

そんな「繰り返しの絶望」ですが、女性はその絶望の中に一筋の光を見出します。それはティーチャー(無敵の敵パイロット)を倒し、その先の世界をつくっていくことです。それは主人公から託された夢であり、自身の葛藤からも育まれていた道でした。

この映画は「繰り返しの絶望に人は耐えられるか?」という問いに対して、「耐えられる!!」というメッセージを送っています。そしてただ耐えるのではなく、その先の未来にある光を見出すことによって、「活力をもって生きていける」と言っているのです。

(あ、この映画ですが、いろんなテーマが織り込まれているので、この話を聞いた上でも楽しめると思いますよ!!ぜひ観てみてください!!)

教授から労働者になった哲学者

すべての人が宇宙を讃嘆すべきであるのに、しぱしぱそれができないことがある。ある日の労働で、すなわち自分が物質に従属したある日の努力で、手足がひどく疲れた人は、自分の肉体の中にとげのように宇宙の現実を身につけている。その人にとってむずかしいのは、見て愛することだ。それができれば、現実を愛していることになる.

神は貧しい人々にその大きな特権を残してある。けれども彼らはほとんど全然それを知らない。人は彼らにそれを言わない。過度の疲労、あえぐような金銭の心配、また本当の教養が欠けているために、彼らはそれに気づくことができない。

彼らが宝に近づく道を開くためには、彼らの条件を少しだけ変えれば十分だろう。多くの場合に人々が他の人々を宝に近づけることはどんなにやさしいか、そして、どうして人々はそういう骨折りをしないで何百年も過して来たかを思うことは、胸の張り裂けるようなことだ。

シモーヌ・ヴェイユ『神を待ち望む』
http://www.geocities.jp/andreaskjp/weil/framepage5.htmより引用

そこで思い出されるのが、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユさんです。残念ながら、最近この方を知ったばかりですので、詳しいことを話す事ができないのです。が、この方もまた同じことを語っています。

肉体の生命のリズムを、世界のリズムとつながりあわせること。
このつながりをふだんに感じ、また、物質がたえず入れかわって、
人間がこの世界の中にひたされているさまを感じること。

生きているかぎり、なにものも人間から奪い取ることのできないもの。
意志の支配下にある運動としては、呼吸。認知できるものとしては、空間。
(たとえ、土牢に閉じ込められ、目をえぐられ、鼓膜が破れていようとも、生きているかぎり、空間は認知できる)。

私たちは、いかなる状況によっても、思考が奪われることがないようにと願っているのだが、
その思考を、こういった事柄に関連づけること。

『重力と恩寵』
http://simoneweil.jp/words21.htmlより引用

繰り返しの中に希望を見出すことを、「生命のリズムと宇宙のリズムをつなぎあわせること」として語っています。

 

そして掃除へと…

はい、ゲストハウスでの掃除(私の日常)へと帰ってきました!!笑 大いに回り道をしましたね!!

ではこの回り道……『スカイ・クロラ』とシモーヌ・ヴェイユさんの言葉から学べることはなんでしょうか? それは「ルーチンワーク」という飽きの超え方です!! (絶望の超え方というと、掃除は絶望なのか!と怒られちゃいそうなので、飽きにしておきます…笑 そういうことじゃありませんよ? …ほんとうですからね?)

超え方と言ってもいいですし、自分の役割になにを見出すかという言い方もできるかと思います。

よく言われるレンガ積みの例を出してみると、わかりやすいと思います。レンガ積みをしている少年二人に「君の仕事はなに?」と聞いたときに、片方の少年は「レンガを積むことだよ」と答え、もう片方の少年は「歴史に残る大聖堂をつくることだよ」と答える……というあれです。

このとき前者の少年は、ただ言われるがままに身体を動かしているだけです。しかし後者の少年は「人類の歴史をつくっている」という大きな人の営みに参加をしています。宇宙の営みに参加していると言ってもいいかもしれません。

(ちなみに宇宙への営みに参加する…で思い出すのは、モーリス・ベジャールさんです。この方の振り付けした現代バレエを二回ほど観たことがありますが、それは素晴らしいものでした)

またまた脱線しちゃいましたね…笑

この記事では僕のしていること「掃除」について話していますが、これはどのような「日常」というルーチンにも当てはまることです。そこになにを見出すか。それは仏教でいう「智慧の光で照らす」ことです。物理的に現れているものではなく、その後ろの関係性に目を当てることであり、その関係性の縁を広く大きく見渡していくことです。

ポイントはただ耐えるのではなく、それを超える道を見出してしまうことです。そしてそれは自分のしていることの本質を観ることであり、本質から広がる未来を見据えることです。さあ、今日の仕事は終わり!! なにしようかなー!!笑

Pain is inevitable. Suffering is optional.
(痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第))

村上春樹『走ることについて語るときの僕の語ること』